上達の芽は日常にある? その4
琉球空手・琉球古武道本田道場(Ryukyu Kobudo Shimbukan)
柔軟な思考はダメ?
中々うまく体を動かせない人に、イメージし易いように日常の動作に例えてアドバイスをすると
「○○流=自流ではそのアドバイスは間違っている」と否定される場合があります。
決して流派の技(運動特性)を否定していません。言い換えたら「コツ」のようなものです。
「変えてはいけない物」と「柔軟に考える事」の区別が出来ないのだと思います。
区別が出来なくなっている?
「自流はスポーツ(競技)ではなく、先人からの伝承を一切改変しないオリジナルです。」と自流とスポーツの違いを強調しながら
何の疑問も持たずに競技大会に参加する。競技大会ルールに合わせる事はオリジナルの変更じゃない?
競技会へ出場するメリット・可能性は計り知れません。多くの人と出会い切磋琢磨することは有意義なものです。
しかし、自流とスポーツを区別することは難しく、どうしても境目が曖昧になりがちです。
どちらか一方に絞れない
テニスのラケットをもって卓球の素振りをしたり、球技だから「サッカー」と「バレーボール」を「卓球台」の上でするようなものです。
結果的にすべてが競技化ベースになり「自流はスポーツ(競技)ではなく、先人からの伝承を一切改変しないオリジナルです。」はドンドンと薄れてしまっています。
無意識に「競技ルール」に基づいた自琉空手になっています。
どちらも素晴らしいものだから、中途半端ではなく「どちらか一方に絞った方がいいのでは」とよく思います。
「若い時はスポーツに絞る」など方法はある筈です。競技から共通点を見つけて吸収すればいいのに、「上達の芽」を見逃しています。
琉球空手・琉球古武道信武舘 本田道場