沖縄小林流空手・琉球古武道(術) 昇段級審査って必要?
自由選択!
昇段級審査は、稽古を継続する上でモチベーションを維持する動機付けとして、役に立っていると思います。
本田道場では、沖縄本部審査規定に準拠した「空手・古武道」の昇段級審査を受審できます。ただし、審査には別途費用がかかるため、本道場では受審を任意としています。審査を受けなくても稽古内容が変わったり、技術的な進歩が妨げられたりすることは一切ありません。
流派はいつから?
空手・古武道の昇段級審査はいつ頃始まったのでしょうか。今から約100年前、冨名腰義珍先生が本土で唐手術を紹介した頃、沖縄の空手・古武道には審査はおろか、流派という概念すらなかったかもしれません。沖縄では、特定の流派名を名乗らず、単に「手(ティー)」と呼ばれていたようです。
本土空手四大流派の誕生は、糸東流が1931年、剛柔流が1930年、和道流が1934年、松濤館流が1939年(松濤館開設年)となっています。一方、沖縄空手の主な流派としては、沖縄小林流が1933年、上地流が1940年、松林流が1940年に成立しています(沖縄空手案内センターHP参照)。
空手発祥の地である沖縄が、流派の誕生においては後発となっているのは興味深い点です。おそらく当時、道場という稽古システムも沖縄には存在しなかったのでしょう。私が所属する沖縄小林流無拳会・琉球古武道信武館の赤嶺浩館長(70代)も、空手を習い始めた頃、稽古場所は畑だった仰っていました。
これらのことから考えると、流派や道場という概念は、本土から沖縄へ逆輸入されたものと想像できます。
道場・審査はいつから?
一対一の稽古から一対複数への稽古スタイルの変更や、昇段級審査といった、従来の沖縄にはなかった制度が本土から入ってきたようです。しかし、昇級昇段に対する感覚(価値観)は、本土と沖縄でやや異なる部分があったようです。沖縄の先生は、本土の空手家へのお礼として免状を渡していたのかもしれません。一方、本土では免状は免許的な意味合いが強く、「○○氏より本土師範免状第一号を頂く」といった紹介文を道場代表のプロフィールで見かけることがあります(笑)。笑い話ですが、「第一号師範免状」が複数枚存在するようなことも耳にしたことがあります。
本土では道場運営の権威付けとして、沖縄では感謝の意として、その間にはかなりの温度差があったようです。
級位段位の意味
長らく本土空手に身を置いてきて感じたことは、級位や段位が道場・会派・団体内でのランキング(ヒエラルキー)と化してしまっていることです。言い換えれば、他人と自分を比較する尺度になっていると感じます。「自分より段位が上だから」「先に師範免状をもらったから」といった理由で、「なぜ自分より実力が劣るのに先に〇〇免状を取得しているんだ?」といった不満や揉め事を見聞きします。流派・会派といった組織が肥大化することの弊害でしょうか?と言うより人間性の問題でしょう。
指導者に認めてもらいたい、努力を評価してもらいたいという気持ちは理解できますが、他人と比較するのはいかがなものでしょう。道場生同士お互いに追い越し追い抜けと切磋琢磨する目標としての審査と、少し趣が異なります。
本来、級位や段位は昨日の自分との比較によって与えられるものであり、発行する側もその点を十分に理解する必要があると考えています。
琉球空手・琉球古武道信武舘 本田道場
Ryukyu Karate Kobudo Honda Dojo
