練習ではなく稽古を――競技空手から離れて見えたもの
競技一辺倒の空手に疑問を抱いた人たちへ。“稽古”への思い。
また一人、競技空手に疑問を感じた方が道場の見学に来られました。
その方は現在も他の道場に所属されているそうです。
「なぜ見学に来られたのですか?」とお尋ねしたところ、とても印象的な言葉が返ってきました。
――「練習じゃなく、稽古がしたいんです。」――
おそらくこの言葉には、「競技中心の練習ではなく、技をじっくりと練り上げていく稽古がしたい」という思いが込められているのだと感じました。
稽古とは、本来、古(いにしえ)を稽(かんがえる)という意味で、先人の教えについて工夫、研究するということであり「考える」という意味が多分に含まれている。
お話を伺うと、所属されている道場には子どもが多く、どうしても練習内容が競技中心になってしまっているとのことでした。指導者も手が回らず、大人の稽古に十分な配慮が行き届いていない現状があるようです。

”練習”と”稽古”の違いは?
JUDOと柔道、KARATEと空手って感じでしょうか?区別は難しいですね。
競技全般は、ルールの変化に合わせて、新しいスタイルや形を作り上げていくものです。その中で行われる「練習」は、技術や体力を高めるために繰り返し行うものです。
一方、武道や芸道で使われる「稽古」という言葉も、技を磨くという点では「練習」と似ています。ただ、「稽古」には少し違った意味合いがあります。
「稽古」は、昔から伝わる教えを大切にしながら、自分の心や姿勢も含めて深めていくようなものです。簡単に言えば、「練習」が新しいことを身につけていく行為だとすれば、「稽古」は昔からの道をたどりながら、自分を磨いていく行い、と言えるかもしれません。
※歴史あるスポーツは既に「古(いにしえ)」と言えます。何年からが古(いにしえ)なのでしょうか?1000年単位でみれば全て古(いにしえ)になりそうです。年数ではなく西洋と日本の文化的な違いなのでしょうか?あるいは結果と過程のどちらを大事にするか、の違いかもしれません。

競技空手の先にあるもの――大人の空手の居場所
かつて競技会に参加していた頃は、3月に○○大会、4月に○○大会と、12月まで月1~2回の大会に忙しく出場していました。当時は競技人口も多く、4月の大会が次の大会の予選会も兼ねており、12月の最終大会を目指して年間のスケジュールが組まれていたものです。
近年では、少子高齢化の影響で大会維持が難しいくなっているようです。参加者を減らさない工夫として、競技の細分化が進み、高齢者を取り込むための年齢別カテゴリーも新たに設けられています。これらの取り組みは、競技を続けたい人たちにとって非常にありがたいことだと思います。
しかし一方で、道場の稽古・練習が競技空手に重きを置きすぎているのではないか、という懸念もあります。
競技の練習から、意味ある「稽古」へ
競技空手に初めから関心がない人や、競技を一区切りとし、次のステップとして先人たちの思いや技術をじっくり学び深めたいと考えている人にとって、今の道場は少し居心地の悪さを感じる場面があるのかもしれません。
フルコン系の経験者も、伝統系空手の経験者も、競技者として現役を離れたあと、道場に自分の居場所がなくなっている事にきがつくのではないでしょうか。
だからこそ、老若男女がそれぞれの目的を持ち、時間をかけて「稽古」に向き合える環境――そんな場が、求められのかもしれません。
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