基本練習の“その下”にあるもの
― イチローの指導から学ぶ、検証の視点 ―
先日、YouTubeで「イチローの高校指導」という動画を観ました。内容は、元メジャーリーガーのイチロー氏が日本の高校野球部を訪れ、アドバイスを送るというものです。甲子園出場を目指して真剣に練習に取り組んでいる高校球児たちに向けて、数々の金言が語られていました。
その中でも、特に印象に残ったのが「基本の基本」という言葉です。
一般的に「基本」とされている動作や練習方法を、私たちは何の疑問も持たずに反復しています。しかし、その「基本」とは一体何を根拠に「基本」とされているのか。そもそも、それを検証したことがあるのか。イチロー氏の問いかけは、そうした根本的な部分に踏み込んでいました。

「基本の基本」
スポーツで言うと、まず基本練習を行い、その後に応用や試合に向けた練習へと移っていくのが一般的だと思います。応用練習においては、どのような状況に対応するのか、どう動くのかを想定し、試行錯誤を重ねながら練習していると思います。
では、その応用練習と基本練習は本当にリンクしているのでしょうか?
そもそも「基本練習」とは何をもって「基本」としているのか?
さらに言えば、その基本の“さらに一段下”を考えたことがあるでしょうか?

空手の場合
空手の突きの指導において「腰からまっすぐに水月(みぞおち)を突く」と教えられました。しかし、もう一段掘り下げてみると、「腰のどの部分から?」「どうすれば真っすぐ突けるのか?」「どこに力を入れるのか?」「なぜ自分の水月を目標にするのか?」といった、さらなる問いが浮かび上がります。
初心者のうちは、その指導(説明)だけで十分かもしれません。しかし、ある程度動けるようになった段階では、その下にある原理を考え、それを指導する必要があるのではないでしょうか。ところが、現実にはその“下”を教えられることはほとんどなく、子どもから大人まで、初心者から有段者までが「基本だから」と信じて疑わない土壌ができあがってしまっているように感じます。むしろ、「基本」に対して疑問を持つことさえタブー視されているようです。

継承➡劣化したコピー
そして、今一度問い直すべきなのは、その「基本」は本当に、試合や実戦での動作につながっているのかという点です。もしつながっていないのであれば、それは単なる時間の浪費であり、場合によっては応用動作の妨げにすらなっているかもしれません。
このような指導は、長い年月をかけて連綿と受け継がれてきたように思います。
決して現在の指導者が悪いわけではありません。なぜなら、その指導者たちもまた、自分の師から同じように教わってきたからです。いわば“教わった通りに教えている”という構図が、代々繰り返されているのです。いわゆる「伝統」なのでしょう!
しかし、その根本的な原因は、「検証していない」「試していない」という一点に尽きるのではないでしょうか。
すべてが理屈通りにいくとは限りません。それでも「本当にそうなのか?」「自分で試して確かめてみよう」という発想が必要では?
あるいは、「伝統」にはそうした思考を持たせない空気があるのかもしれません。
やっぱり正しかった
仮に、基本とされる動作を自分なりに検証した結果、「やはり正しい動作だった」と確認できたとしても、それで十分価値があると思います。
たとえ少し遠回りになったとしても、ただ鵜呑みにするのではなく、自分の頭と身体で確かめることに意味があります。
もしその「基本」とされる動作が、実は誤ったものであり、身体に負担をかけるような動きだったとしたら――それこそ、取り返しのつかない事態になるかもしれません。
遠回りして、ぐるっと回って、結局もとの場所に戻ったとしてもいいじゃないですか。
自分で確かめ、自分で納得したその「基本」は、きっと本当の意味での土台になるはずです。
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