沖縄小林流空手・琉球古武道(術) 古流の形って何?

youtube動画

youtube動画を見ていて「古流○○の形」と題した投稿を目にすることがあります。

「古流・・・?」って何なんでしょうね。(「古流」の定義がないので見方は色々)

と言う事は「新流?改流?」があるってことになります。

古流って一体いつ頃を言うんでしょうか?

全空連(JKF)の競技規定には1964年に存在した形しか演武することは出来ないとなっています。

1964年って既に60年前になります。古流の基準は明確ではありませんが60年でも十分古いのでは?

「古流」って?

写真すら無い微妙な時代(200年から150年前)の武人達。糸洲安恒(1831~1915)、東恩納寛量(1853~1915年)、松茂良興作(1829~1898年)、上地完文(1877~1948)

この時代に出来上がった「形」を古流と言うのでしょうか?以来、少しずつ変化しながら現代に至っていると思われます。全く原形のまま変化のない形も存在するでしょうが残念ながら証明は難しいですね。

以下(一般)沖縄伝統空手道振興会HPより抜粋

<首里手>松村の高弟には、安里安恒(1828~1914年、首里桃原の出身、高弟に富名腰義珍がいる)糸洲安恒(1831~1915)などがいる。松村宗棍(1809~1899年、他に生年は1800年説もある)

<那覇手>東恩納寛量(1853~1915年)は、そして17歳の頃、久米村のマヤー・アラカチこと新垣世璋(1840~1920年)に師事し武術を学んだ。

<泊手>松茂良興作(1829~1898年)である。松茂良は、泊手を、首里手、那覇手と並び称されるまでに武術を高めた人で、後世、泊手中興の祖といわれた。

<上地流>上地完文(1877年5月~1948年6月)を始祖とする流派。

変化は悪?

以下、先日の忘年会(沖縄本部)での話

小林流の知花朝信(1885年6月5日 – 1969年2月26日)の高弟である宮平勝哉(志道館)や仲里周五郎(小林舘)、比嘉佑直(究道館)であっても三者三様の形だったそうです。(現在、同じ小林流であっても伝承の流れで動きが異なっています。)

逆に言うと体(身体能力)にあった動きであるべき(違って当たり前)だったという事になります。体(身体能力)にあっていない形を疑いもなく稽古する事が「正しい」のでしょうか?

何をするのも個人の自由なので否定しませんが、ことさら「古流」を強調されると色んな事を考えてしまいます。(他と違う事を言いたいんでしょうか?)

本土で「古流○○の形」って演武していても、沖縄では普通に稽古していたりします。

琉球空手・琉球古武道信武舘 本田道場
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