「形を打つ」という表現に感じる違和感──競技形と本来の形のズレ
仮想敵に対する演武と、対戦形式の意識。その微妙なスレ違いが生むものとは?
空手関係者との会話や、動画へのコメントの中で、時々「?」と感じる言葉があります。
一つは「オッス(OSSU/押忍)」、もう一つは「形を打つ」の“打つ”という表現です。
「オッス」については以前ブログにも書きましたが、今でも検索され続けており、多くの人がその意味や使い方に関心を持っていることが分かります。
今回改めて気になったのは「形を打つ」という表現です。この“打つ”は「行う」「演武する」といった意味で使われていると思われます。
形は仮想の敵を想定して行う一人稽古の方法だと理解していますが、競技の場面ではどうしてもその意識が「審判」や「対戦相手」「観客」へと向いてしまう状況になるのかもしれません。
仮想の敵から対戦相手へ?形競技に見る意識の変化と違和感
特に形競技では、演武した内容を点数で評価する場合と、2人が交互に演武し、旗判定で勝敗を決める場合があります。
後者の場合、まるで相手と直接対戦しているような感覚になるため、「自分の形で相手を打ち負かす」という意識が強く働いているのかもしれません。まるでフランスオリンピックで正式競技となったダンス競技「ブレイキン」のように、演技性やパフォーマンス要素が強調される方向へと形が変わりつつあるのかもしれません。対戦型(バトル形式)

だからこそ、競技形では必要以上にオーバーな動作や、不自然な間合い、さらには形名を絶叫するような奇声が目立つ場面も見られます。https://www.youtube.com/watch?v=kFOiVpb9A6o
これらは──仮想の敵に向けて技を磨き、心技体を整えるという目的とは方向性が異なるようにも感じます。
2020年の東京オリンピックにおける形競技を観戦して、こうした違和感を抱いた視聴者も少なくなかったのではないでしょうか。
仮想の敵を相手に一人稽古としての形と、競技としての形。その間に意識のズレが生じている──そう感じるのは私だけではないはずです。
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