沖縄空手・琉球古武道(術) YouTubeへのコメント

色んなご意見に感謝です。

サイの朝活動画をご覧になった視聴者サン(沖縄より)よりコメントがありました。

「最近、大会でも交差受けの際にチーンと力無く受ける方が多く見られますが、そちらでも同様に指導されてますか?コレでは受ける事出来ないと思うのですが…。あと、後足は前を向ける様に指導してますが、どう思われますか?」と言うものです。

どう答えればいいのか悩みました。私自身が理解している技術としてなのか?大会(競技)の評価としてなのか?

本土競技空手と同じ道?

「最近、・・・・」はコメントを頂いた方の価値観(判断基準)に即した意見になります。当然間違っていません。ご自身の師匠や先輩がたから指導を受けた内容と比較して違和感を感じているだけです。

問題は「最近」のあとに続く「大会で」というワードです。コメントから理解できるのは大会で他道場の選手を評価する際に「あれで良いのか?」と感じているというものです。

問題の原因は判断基準が統一されいない事です。「交差受けは○○が正解」のような統一した認識があれば「あれでいいのか?」とはなりません。〇か✖です。

力強く見えない。

「最近、・・・・」のコメントにサイを強くうちわせて「カキーン」という金属音が小さいので力強くないのでは?とも書かれています。

大きな金属音を力強さの基準にされているようです。判断基準の一つにすることは間違っていないと思います。しかし、「カキーン」じゃなく「チーン」と小さな金属音しか出してはいけないと道場で習っているのであれば選手は間違っていません。

これも、統一されて判断基準がないからです。競技ルールで「サイの交差受けでは大きな金属音を立てるのが正しい」となれば参加する選手は皆「カキーン」と大きな音が出るようにサイを打ちわせるようになるでしょう。

まだ、気づいていない?

それぞれの道場で稽古した先生方がは、当然ですが稽古方法や技の解釈が異なります。中には解釈が真逆に近い場合もあるかもしれません。

こんな状態で何かを評価する事は普通に考えて無理ではないでしょうか?

審判講習会の罠

大会を運営していく中でこのような評価基準の問題を避ける事はできません。第一回世界空手・古武道大会の準備段階においても「審判講習会」がされています。

「審判講習会」とは?細かな決め事の他に判定基準の擦り合わせがあります。

要するに審判間で技術的な最大公約数を確認し合うと言う事になります。そうでないと競技になりません。

ある審判の基準では100点であっても、ある審判の基準では0点を通り越して失格になってしまうと競技運営が出来ないからです。

最大公約数の判断基準が競技ルールとなり一人歩きしだすことが「審判講習会の罠」です。

知らず知らずのうちに「○○をすると競技では評価されない」「○○したほうが評価が高い」と道場の中で新しい判断基準が出来てしまいます。いわゆるダブルスタンダードです。

結果、競技が活発になると道場に伝わっている基準(伝統・伝承)は疎かになり、かろうじて知識としてのみ残る事になります。

失う物は?

空手発祥の地である沖縄のアイデンティティーが徐々に均一化され薄らいでいくでしょう。

徐々に進んでいくから気が付きにくい。

今から10年すれば重鎮と呼ばれる人はいなくなり、もう10年すると競技だけ育った人が審判となり、もう10年すると競技空手・古武道が正しい沖縄の空手・古武道と認識され「伝統・伝承」失われていく可能性が心配です。

ダブルスタンダードにはならない!

コメントでは「大会に参加することによって、道場用と大会用に区別するよなダブルスタンダードにはなっていません。」と返事がありました。

まだまだ、競技化が進んでいないのかもしれません。

しかし、道場で稽古している内容が大会ルールに照らして減点対象であったり、失格要件に該当していたらどうするんでしょうか?

ダブルスタンダードにならず全参加選手が道場で稽古した通り演武してた結果、全員「失格」になる大会は現実的ではないですね。

訪沖者の思い

何故、海外から多くの空手愛好家が沖縄を訪れるのでしょうか?また、県外から沖縄を訪れるのでしょうか?

沖縄にしかない空手・古武道があるからです。残っているからです。

コメントの終わりに

コメント者は「本土や海外から古武道の修行に来ている。だから本土との差別化は今後加速する筈です!?」と結んでいました。

現在、本土や海外から訪れている修行者が今後減る可能性を危惧しています。

また、本土の何と沖縄の何が差別化され行くのでしょうか?本土の競技空手と沖縄の競技空手でない事を願います。

琉球空手・琉球古武道信武舘 本田道場
Ryukyu Karate Kobudo Honda Dojo